2012年
2012月11月 母子草編集後記(いったい誰のため?)
2012年11月
ブログでも少しだけ紹介しましたが、過日、全日私幼連の研修会で精神科医の丸田俊彦さんの講演を聞いた。32年間アメリカで勤務されていた方である。心の問題を扱うのに薬だけではだめだと思いアメリカに渡ったとのこと。時に、英語で考えますか?日本語で考えますか?という質問を受けることがあるそうですが、考えるとは言葉と結びついていないと実体験を語っていましたがなかなか興味深いものでした。
本題は「それってだれのため?」でした。奥さんががん末期であることがわかり本人の希望で日本に帰国されたとのこと。毎日看病を続けて、決まって夕刻に汗でびっしょりになったタオルやシーツを交換していた。しかしある日、夕刻に取り換えることを本人が拒み、夜になってやっと了解をして取り換えるときに、奥さんが「いったい、誰のため?」とつぶやいたそうです。
先生は、その言葉が頭にきたそうです。しかし、よく考えると自分が遅くなると明日に差し障りがあるので、早く取り換えたいだけだった。結局自分のために毎日夕刻に行っていただけなんだと振り返ったそうです。
子どものことも同じではないか?と投げかけられました。「しかる」「ほめる」もいろいろ方法も違うし、どちらも必要だろう。しかし、子どもの将来を心配して言っているのか?もしかしたら親の希望や欲で行っていないか?本当に子どものためになっているのか?幼稚園や先生のためにやっていないか?と…。園長としてそして親としても非常に考えさせられる言葉でした。そして、「しかる」「ほめる」も中庸がいいとおっしゃっていました。あまりかたよらないのがいいと。かたよってしまったら反対側に戻したりすることも必要だと。
(園長)
(園長)