2009年
https://nanokaichi.ed.jp/
2024-03-13T19:43:44+09:00
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2009-12-01T00:00:00+09:00
2009年12月 母子草編集後記より(ピースについて考える)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=46/r_id=49#block46-49
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<div>2009年12月</div>
<div> </div>
<div> 子どもたちが写真をするときにピースをする。職員もハイピースと言って子どもの笑顔を引き出す。ピースをすると笑顔になるんだと言った私の知人もいるが、この意味を知っている人がどれだけいるだろうか。作家の曽野綾子氏が月間Will2009年12月号でこのことを書いている。</div>
<div> </div>
<div> このVサインは、文字通り「勝利」を意味するもので、チャーチルが第2次世界大戦中、戦意高揚のために勝利の頭文字Vを指で作って人々に示した。また、百年戦争のときにイングランドの弓兵がフランス軍を挑発するジェスチャーとして使ったという説もあるそうだ。一般にVサインは、全共闘などの学生運動をしていた若者たちがVサインを出して「ピース!」と叫ぶのがかっこよく見えて、子どもたちがまねしたのではないか、と言われているそうだ。このVサインには裏があり、掌を反対にして見せると、「くたばれ」という意味らしい。</div>
<div> </div>
<div> 日ごろ何気なくやっていることも、その意味を知らずにしていることも多いのではないか?何故やっているのか問うて見るのも必要なことだと思う。これは、園の中にも当てはまることもあると思う。「進化と継承」は永遠のテーマか。</div>
<div> </div>
<div> ちなみに私もピースはしないようにしている。あまり格好いいものではないように思う。子どもが笑顔で写真に写るため何か「新たな秘策」を考えようか・・・。(園長)</div>
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2009-11-01T00:00:00+09:00
2009年11月号 母子草11月号より(パパのカノジョは)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=46/r_id=48#block46-48
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<div>2009年11月</div>
<div> </div>
<div> 過日、研修会で面白い?というか考えさせられる?何とも不思議な絵本を紹介いただきました。どちらかというと大人向けの絵本でしょうか。タイトルは「パパのカノジョは」どんな話かというと、父子家庭に育つ少女と、パパの新しい彼女とのお話です。「パパのあたらしいカノジョはかわってる。すっごくカッコわるいんだ。」というフレーズではじまります。最初は、少女がその彼女の見た目を観察した経過が前半で、後半は実際にカノジョと触れ合いの中で少女なりの感じたことがお話になっています。</div>
<div> </div>
<div> この後半部分が考えさせられるとともに面白いと感じる部分です。親としての自分と照らし合わせることができます。見た目は変だけど、子どもにとって理想の親のようなカノジョです。んーやっぱり大人の絵本ですね。</div>
<div> </div>
<div> 前日、三女をしつこくかまいすぎて、嫌われてしまった親としては何ともタイミングの良さに感服。親として反省させられる研修会でありました。</div>
<div> </div>
<div>「理想の親像」それぞれ頭で理解していても日々の生活の中で感情的になってしまったりしがちです。また、子どもの気持ちから遠ざかってしまっているようなことも時にはあるのではないでしょうか。感情的になることがすべて悪いというわけではありませんが、時々、この絵本のように気付かされ、日々の生活を反省するということもとても大切なことのように思いました。機会がありましたらご覧になってください。きっと・・・。</div>
<div style="text-align: right">(園長)</div>
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2009-10-01T00:00:00+09:00
2009年10月 母子草10月号より(自分にしかない役割)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=46/r_id=47#block46-47
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<div>2009年10月</div>
<div> </div>
<div> 最近、青年会議所活動をしている仲間を失いました。36歳という若さでありました。急なことでとても驚きましたし、2週間ほど前に頑張っている姿を見ていたので何とも・・・。そして、数日前には癌と戦っている同じ志をもった二人の仲間と出会う機会を得ました。二人とも仕事も青年会議所活動もしっかり続けておりそのお話を聞いて、自分自身を振りかえる機会をいただいたと思います。自分自身に「お前もこの仲間のようにしっかり生きているか?」と問いました。</div>
<div> </div>
<div> 夏の関東地区研修会で聴いた「千の風にのって」の作曲者である新井満さんの「命の三つの意味」という話を思い出しました。一つ目は、必ず死ぬ。二つ目は役割を果たすために生まれてくる。三つ目は、生きなければならない。当たり前のことと思われる方もいるかと思いますが、それぞれの役割を果たすということが大切だと思います。</div>
<div> </div>
<div> 101歳で9月に亡くなられた禅僧松原泰道さんは、仏教の真髄は?との問いに「上求(じょうぐ)菩提(ぼだい) 下化(げけ)衆生(しゅじょう)」とお答えになったそうです。上求菩提は、自己の人間性を向上させること、下化衆生は人のために尽くすことという意味です。</div>
<div> </div>
<div> 園長として僧侶として親として地域に生きる人間としての役割をいろいろ考えますが、基本は「上求菩提 下化衆生」でいきたいと思います。今月はちょっと重たい話になってしまいましたが、自分にしかない役割、時には真剣に考えてみるのも必要なことだと思います。</div>
<div style="text-align: right">(園長)</div>
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2009-09-01T00:00:00+09:00
2009年9月 母子草9月号より(時の試練)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=46/r_id=46#block46-46
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<div>2009年9月</div>
<div> </div>
<div>「時間がたてば、たとえ微小でも、風化がおこる。細部が欠落して、新しい性格をおびるようになる。これが古典化の過程である」(思考の整理学 外山滋比古 ちくま文庫)この一文は『時の試練』に出てくる一節であります。島田清次郎と夏目漱石の作品を比較して、作品発表の時と現在の評価を比較して同じ評価を得られることはなく、文学作品も時の試練を経る必要があるという。</div>
<div> </div>
<div>この一節から人の生き方もそうであるし、保育もそうであるのではないかと感じました。人生の評価がもしあるとするならば、古典として人生を語ってもらえるような生き方がいいのではないかと思う。有名になんかならなくてもいいと思うが、時のふるいにかけられても残るそんな人生を。</div>
<div> </div>
<div>思考の整理には忘却が一番だという。忘れ上手になって、自然忘却より何倍のテンポで忘れることができれば、歴史が三十年、五十年かかる古典化という整理を五年か十年でできるようになり、そして古典的になった興味や着想は簡単には消えない。思考の整理はいかにうまく忘れるかだそうである。忘れることについては得意分野であるが、忘れる素材を頭の中に入れ込む作業が必要なんですよね。こちらは自信がないのでどうにもならない?</div>
<div> </div>
<div>この編集後記も時の試練を経て意味のないものとならないように願うばかりである。「思考の整理学」外山滋比古(ちくま文庫)、帯には“もっと若い時に読んでいれば…”そう思わずにいられませんでした。とあった。うまいキャッチコピーを選ぶものだと感心。最近のお薦めの一冊です。</div>
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2009-07-01T00:00:00+09:00
2009年7月 母子草7月号より(プロ)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=46/r_id=45#block46-45
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<div>2009年7月</div>
<div> </div>
<div> 先日、飛行機に乗った際に自席に本を忘れてしまいました。原因は読まずに脇に置いておいて眠ってしまい、そのまま到着したのち荷物棚からカバンをおろして降りてしまったからです。次の飛行機に乗り替えようと思った時に気付き、航空会社のカウンターに相談、機内に問い合わせをしてもらいましたが、見つからないと連絡をいただきました。一応連絡先をつげその場を後にしました。少しすると電話が入り別の係りのものが持っておりましたと連絡が入り、乗り継ぎもあったので翌日取りにうかがう旨を伝えました。翌日、指定されたカウンターに行くと丁寧に対応していただき感激をいたしました。仕事といわれればそれまでですが、そこにサービス業としてプロの仕事ぶりを直接体験しました。</div>
<div> </div>
<div> 読む本が無くなってしまったので、やむなく売店で雑誌を購入。その中に古典の特集を読み進めると、盛岡市に書店業界に名をとどろかす伝説の本屋さんのことが目にとまりました。何の変哲もない町の書店ですが、同店から数々の全国的なヒットにつながるベストセラー本がでているとのことでした。理由は、書店員が毎日一冊の読了をノルマとして読みこなし、その中から自分たちの好きな本を薦めているのだそうです。これもプロの仕事だと感心しました。</div>
<div> </div>
<div> この二つの話を職員全員に話しました。私達にとってプロの仕事とは?やはり日々の保育を反省し次に生かしより良い保育をすること、すなわち日々の子どもたちとの関わりだと。プラス幼稚園の良さを保護者の皆さんや地域の皆さんに伝えていくことができたら最高だと思います。いづれにしてもキーワードは「人」。素敵な人、保育者になることですね。(園長)</div>
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2009-06-01T00:00:00+09:00
2009年6月 母子草6月号より(市民としての責任)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=46/r_id=44#block46-44
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<div>2009年6月</div>
<div> </div>
<div> 東京杉並区の和田中学校元校長藤原和博さんの著作を読んでいます。民間人から初の校長ということや「よのなか科」や塾と学習塾と連携した課外授業「夜スペ」で有名であります。実は、7月に小生がコーディネーターで、パネルディスカッションでご一緒させていただくことになったこともあり、人と成りをしっておかなければと思ってのことです。</div>
<div> </div>
<div> 学校の運営というか経営についてはかなり参考になる部分があったというのが感想で、幼稚園に活かせることもあると赤線を引いております。また、昨年小学校のPTA会長をさせていただきましたが、名前だけで一年が過ぎてしまいました。この和田中学校はPTAも地域も巻き込んで学校改革されていますが、今後の学校の在り方に問題提議をされたことは素晴らしいことであると思います。(ここの学校だったら会長は務まらなかったのでは?と思った次第です)。もちろん賛否両論あることは理解してのことです・・・。</div>
<div> </div>
<div> しかし一番気になったのは、『自分が払っている税金や年金のこともよくわからないし、地域社会を形づくる、教育や介護や街づくりの現場に積極的な参画もしない。文句は言うが、対案をつくり自ら実現に向かって責任を分担することを避ける。そんな「住民」をつくってきた。これでは成熟社会を生きる「市民」の態度とはほど遠い。』と成熟社会にいきる日本人に必要な教養に警鐘を鳴らしている点であります。確かに様々な制度等が、興味や関心を引くような分かりやすいものでなく内容が難しすぎることも問題だと思いますが、それにしてももっと自分たちで考えることは必要だと思います。(園長)</div>
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2009-09-01T00:00:00+09:00
2009年5月 母子草5月号より(講演記)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=46/r_id=43#block46-43
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<div>2009年5月</div>
<div><br />
過日、富岡ロータリークラブさんの例会で講演をする試練をいただきました。30分弱でしたが、両脇に大汗をかきながら何とか時間を持たせることができました。人生の先輩方々を前に何を話すか大変迷いましたが、今自分が考えていることや活動していることしか話せないと思い講演テーマを決めさせていただきました。しかし、その決めたテーマは何と「青年の使命」。これまた大きなテーマにしてしまったことと、青年期を過ぎてしまった方々を目の前にした時に、何を思ってこのテーマを決めたのか反省しましたが、時すでに遅し・・・。</div>
<div> </div>
<div> 話の中身は、「出会い」や幸田露伴の「努力論」の他力による自己革新、橋本佐内の啓発録の「立志」の話をした後に、戦艦大和からただ一人生還された吉田満さんの話「彼らは日本の清らかさ高さ尊さ美しさを実現するために死んでいくと覚悟を決めた、それらが今の日本で実現されているのか?」を引用しました。そして、江戸から明治にかけて国のありようが大幅に変化したときに活躍した人々の年齢は、まさに青年世代であったことを考えれば、百年に一度の不況といわれる現在であるが、歴史を振り返って大きな視点で今を考えなければいけない。自分の家族や仕事を守ることは当たり前だが、決してそれだけをやっていればいいのではない。公のことを考える必要がある。</div>
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<div> おむつを取るのに親子でとる努力はその時にしなければならない。その時に努力するからこそ親も子どもも学びがあるのです。青年期には国のことや公のことを考え学ばなければならないのです。と言いきってはみたものの・・・。その結果は如何に?(園長)</div>
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2009-04-01T00:00:00+09:00
2009年4月 母子草4月号より(明日ありと・・・)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=46/r_id=42#block46-42
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<div>2009年4月</div>
<div><br />
今年度から園だより母子草の表紙・内容を一新しました。ご感想をお寄せいただければ幸いです。毎月、予定表に二十四節気を記しています。これは、中西進さんの著書「日本人の忘れ物」に提唱されている「体のカレンダー」を大切にしようということに影響を受けてのことです。日々数字のカレンダーに追われることなく、自然の循環にそって名づけられたカレンダーの方が自然の中で生かされていることを感じることができます。どうぞご参考に…</div>
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<div> 「明日ありと思う心の仇桜夜半に嵐の吹かぬものかは」親鸞聖人の句ですが、満開の桜に皆さんは何を感じ、思いますでしょうか?桜の美しさの魅力はいろいろあるように思います。子どもたちも進学・進級で新たな花を咲かせています。日々違う表情を見せてくれます。毎日泣いたり、登園を拒んだりするかもしれませんが、これも成長の一つです。親として辛いかもしれませんが、大きな心で見守ってあげて欲しいと思います。</div>
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<div> 今しか見られない子どもたちが一生懸命自分自身と闘って成長していく姿、こちらも一生懸命に温かく見守り成長を支えてあげましょう。きっと嵐がさったあとは、二度とみられない良い思い出として皆さんの心に残るのだと思います。(園長)</div>
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2009-03-01T00:00:00+09:00
2009年3月 母子草3月号より(願い)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=46/r_id=38#block46-38
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<div>2009年3月</div>
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先月もこのコーナーで取り上げさせていただいた東井義雄さんの著書10代の君たちへ「自分を育てるのは自分」(致知出版社)を我が娘(中学一年生)の机の上において置きました。娘のわからない問題を教えられるような自分ではないので自分にできることを何かしてあげようとの想いからです。(ちょっとカッコ良すぎますか?)</div>
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<div> 日頃は、「勉強やだな~」という子どもたちに、「お父さん見てみろ、子どもの時に頑張らなかったから大人になっても勉強しなければならないんだ」と子どもにとっては理解しがたい?説得力がない?言葉を話しております・・・。このような親を子どもはどう思っているのでしょうか。</div>
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<div> この本の中に5千通りの生き方があるというくだりが出てきます。「世界でただ一人の私を、どんな私に仕上げていくか。その責任者が私であり、皆さん一人ひとりなんです。」と、園の子どもたちにも、どんな境遇であろうとも、言い訳を言ったり自分で歩いた道を人のせいにしたりしないで、自分で自分の道を歩み、自分しか咲かせられない花を咲かせてほしいと思います。年長さんにそんな願いを伝えることができるのももう少しです。</div>
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<div> 卒園文集に大きくなったら?と一人ひとり夢を語っています。夢は変わって大いに結構、歩む道に悩んだっていいと思う。人間的に立派な人になって欲しい。(園長)</div>
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2009-02-01T00:00:00+09:00
2009年2月 母子草2月号より(出会いと時)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=46/r_id=37#block46-37
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<div>2009年2月</div>
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<div style="text-align: center">出会いと時</div>
<div><br />
「縁尋機妙 多逢勝因(えんじんきみょう たほうしょういん)」以前にも紹介したことがあるかと思いますが、私の一番好きな言葉であります。意味は、縁が縁を呼ぶ。そのさまは何とも誠に妙なものがある。多くの人と出会い、交わることがいい結果につながる。という意味です。</div>
<div> </div>
<div> この言葉を、自分の人生に刻んでおられる牛尾治朗さん(ウシオ電機会長、元・経済同友会代表幹事、現・社会生産性本部会長)に今年に入って二度お会いさせていただく機会がございました。二度目にお会いしたときには、お話をする時間がとれましたので、早速ご自身の著書に取り上げられているこの言葉についてお話をさせていただきました。おかげでその時の会話も少しはスムーズにできたように思います。</div>
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<div> 牛尾さんは、今、私が活動をつづけさせていただいている青年会議所で元会頭を務められた方ですが、40歳で卒業してからは青年会議所活動時の人たちとの付き合いが、その後の人生の中で特別なつながりを持ち続けているとお話をされていました。私も園の関係者やお寺の関係者の皆さんや家族に負担や迷惑をかけていることも十分わかっていますが、「今」しかできないことやりたいと思っています。</div>
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<div>生涯を教育に捧げた東井義雄先生が卒業する小学6年生に贈った言葉に次の言葉があります。</div>
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<div>~あすがある あさってがあると考えている間は</div>
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<div> なんにもありはしない かんじんの 「今」さえないんだから~</div>
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<div>出会い、時、大切にしていきたいですね。(園長)</div>
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2009-01-01T00:00:00+09:00
2009年1月 母子草1月号より(お弁当の話)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=46/r_id=36#block46-36
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<div>2009年1月</div>
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<div style="text-align: center">お弁当の話</div>
<div><br />
彼はある日、母親の作る父の弁当を間違えてもって行ってしまった。彼曰く、「おやじの弁当は軽く、俺の弁当は重かった。おやじの弁当箱はご飯が半分で、自分のにはいっぱい入っており、おやじの弁当のおかずは味噌がご飯の上に載せてあっただけなのに、自分のにはメザシが入っていたことを、間違えて初めて知った。</div>
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<div> 父子の弁当の内容を一番よく知っている両親は一切黙して語らず。肉体労働をしている親が子どもの分量の半分でおかずのない弁当をもってゆく。これを知った瞬間、『子を思う親の真(愛)情』が分かり、胸つまり、涙あふれ、その弁当すら食べられなかった。その感動の涙が勉学の決意になり、涙しながら両親の期待を裏切るまいと心に誓った」(致知1月号「巻頭の言葉」より抜粋)</div>
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<div> 食育の講演会で講師が、「そもそも腹がへっているのか?」という言葉が印象に残っています。教育者で哲学者でもある森信三さんは、読書について、外面的な義務や強制に迫られて読んだ書物というのは、いわば腹の減らぬのに食べた食物みたいに不消化なものと言われています。</div>
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<div> そもそも子どもたちが食べたい物を取りそろえたり、栄養バランスを考えてあげたり、子どもに本や学習教材や環境を整えてあげることもそれは大切なことですが、子どもが食べたい、学びたい、吸収したい、体を動かしたいと欲求を生み出すように環境を整えていかなければならないのです。この弁当の話を読んで親として息子としても反省しています。恩着せがましく弁当の中身を子どもに話しては逆効果。さてさて皆さんならどうしますか?(園長)</div>