2010年
https://nanokaichi.ed.jp/
2024-03-13T19:43:44+09:00
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2010-12-01T00:00:00+09:00
2010年12月 母子草編集後記(鐘の音)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=45/r_id=35#block45-35
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<div>2010年12月</div>
<div><br />
金剛院に鐘楼堂が建立される。鐘楼堂というと時を告げる合図や除夜の鐘をイメージされるのでないかと思う。除夜の鐘は、岩波仏教辞典によれば、「一年の最後の晩に、旧年を送り新年を迎えるために各地の寺院で撞く鐘。除夜は除夕ともいう。除夜の鐘は、凡夫の持つ百八煩悩を除去し清浄な新春を迎えるため、その数だけ打ち鳴らすとされる。</div>
<div> </div>
<div> 平家物語の冒頭は「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」で始まる。諸行無常とは、「もろもろ作られたものは実に永遠なものではない」という意味で鐘の響きはただの音ではないようである。</div>
<div> </div>
<div> 中国の南山律宗の祖である道宣の舎衛国祇園寺図経」の一節の中に《祇園精舎にある一つの堂に銀の立派な鐘が下げられており、僧がまさに逝かんとする時にその鐘が鳴らされる。</div>
<div> </div>
<div> その音の中には諸仏入涅槃の法が説かれている。また、病の比丘(びく)(男子の出家修行者)がこの鐘の声を聞くと、本心を失うことなく、「諸行無常はこれ生滅の法、生滅滅し已りて寂滅を楽となす」という音の中で病僧の苦悩は除かれ清涼の楽を得る》と。(お位牌はどこから来たのか 多田孝正著)</div>
<div> </div>
<div> すこし難しいかもしれませんが、鐘の音は合図だけではなく、その響きの中に仏道の教えを聞き、菩提心(悟りを求める心、悟りを得たいと願う心)をもつ意味もあるのではないでしょうか。撞く側の心が響きわたりそうなので、しっかりしなければ・・・。(園長)</div>
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2010-11-01T00:00:00+09:00
2010年11月 母子草編集後記(本の不思議?)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=45/r_id=34#block45-34
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<div>2010年11月</div>
<div> </div>
<div> 第2回ようちえん絵本大賞のチラシを一緒に配布いたしました。昨年は幼稚園の先生が選んだ絵本ということで「はらぺこあおむし」だったと記憶しています。今年は、お父さん・お母さんが選んだ絵本です。是非、これはという本を投票してみてください。結果はPTAしんぶんの平成23年3月号で発表されます。投票者の中で抽選により絵本のプレゼントもあります。</div>
<div> </div>
<div> 絵本は不思議だと思います。大人が読むのも面白いですね。新しい絵本が届くと時に広げてみますが、表紙の絵に引き込まれて読むという面もあるので表紙は結構大事だと思います。わが子にもすっかり絵本を読むことがなくなってしまいましたが、三年生の末の娘は今も母親に読んでもらうのは楽しいようです。最近は漫画ばかり読んでいます。</div>
<div> </div>
<div> 先日、「この一ヶ月に一冊本を読んだか?」の問いに50%ぐらいの人しか読んでいないというアンケート調査の結果を見ました。多少前後はあるようですが毎回50%前後のようです。興味のない人ももちろんいると思いますが、大きな本屋さんに行くと結構人がいるのと都心の電車の中でも本を読んでいる人は結構見かける・・・というのが私の印象です。でもやっぱり人口比率にすると本屋さんも少ないのでしょうね。</div>
<div> </div>
<div> 本というのは不思議なもので、読まなければいけない本がたくさん溜まるとすぐ読まなくてもよい本に手が届いて開いてしまいます。意外に時間がある時には読まずに、忙しくなると読みたくなるものです。そうか本が不思議なのではなく私が不思議なんですね。もう一つ忘れていました。時に睡眠薬のような効果があることも・・・。読書の秋です。不思議な世界にどうぞ。(園長)</div>
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2010-10-01T00:00:00+09:00
2010年10月 母子草編集後記(Twitter)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=45/r_id=33#block45-33
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<div>2010年10月</div>
<div><br />
Twitter(ツイッター)をホームページとブログにリンクさせました。Twitterは、個々のユーザーが「ツイート」と呼称される短文(ひとりごと)を投稿し、ゆるいつながりが発生するコミュニケーション・サービスです。「ツイート(Tweets)」は、英語で「鳥のさえずり」の意味で、日本では「つぶやき」と意訳され定着しているものです。</div>
<div> </div>
<div> 必要かどうかを問われれば必ず必要というものではありませんが、私は最近良く活用しています。自分自身がつぶやくというより、もっぱら、政治家や学者など著名人が発する最新の情報を入手しています。マスコミの報道を客観的に分析するのにも役立っています。</div>
<div> </div>
<div> 幼稚園での活用方法は未知数ですが、しばらく運用してみたいと思います。しかし、仕事、プライベートも境のない世界なのでその点は難しいかもしれません。たぶん活用されている方はご理解いただけると思います。</div>
<div> </div>
<div> 最近は、園庭から携帯電話を使ってその場で写真をアップしたりしていますので、園外保育などにパソコンを持っていかなくても携帯電話がつながる場所であれば情報発信ができます。ということでしばらくつぶやいてみたいと思いますので、興味のある方は、アクセスしてみてください。携帯電話でも利用できます。(園長)</div>
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2010-09-01T00:00:00+09:00
2010年9月 母子草編集後記(ある日の子ども達の会話)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=45/r_id=32#block45-32
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<div>2010年9月</div>
<div><br />
ある日の子ども達の会話</div>
<div> </div>
<div> 年長児のA君がバイクに乗っていた。年少児のB君がそのバイクに乗ろうとしているところを年長児のC君がその様子を見ていた。</div>
<div> </div>
<div>C君「ねーA君、年少児のB君がバイクに乗りたいみたいだからかしてあげれば」</div>
<div> </div>
<div>A君「貸してほしいのなら、貸して欲しいといえばいいじゃない」</div>
<div> </div>
<div>C君「でも年少さんだからA君にいえないんだよ」</div>
<div> </div>
<div>A君「でも七日市幼稚園の教育目標の一つは『強く』だよ。自分でいえなければ『強く』なれないじゃん」</div>
<div> </div>
<div>C君「そしたらもう一つの教育目標に『正しい』があるでしょ。A君がお兄さんなんだから、小さい子に気をつかって優しく貸してあげるのが『正しい』ことだと思うよ」</div>
<div> </div>
<div>A君「貸してあげてもいいけど、B君が自分で言えるようになるせっかっくのチャンスだからB君が言えるまでまったほうがよくないかい?」</div>
<div> </div>
<div>C君「『強く』という中にはやさしいという意味も入ってるんだよ。やさしさがなければ『強い』といえないと思うな。だから、A君から声をかけてあげなよ」</div>
<div> </div>
<div>B君「A君 バイク貸してね。そもそもそのバイクは君のバイクではないんだよ。みんなで使うものなんだ。わかっている?わかっていたらそんなに長時間バイクを使い続けることは正しいことなのかな?」</div>
<div> </div>
<div>先生「・・・」</div>
<div><br />
マイケル・サンデル教授の「これからの『正義』の話をしよう」を参考に幼稚園での例え話にしてみた。 <br />
あくまでも作り話です。【園長】</div>
<div> </div>
<div>先日、来日して東京大学で講義をしたようですね。</div>
<div><br />
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<div> </div>
<div>「これからの『正義』の話をしよう」についてのブログ <a href="http://nanokaichi.kazelog.jp/nanoch/2010/07/post-de81.html" target="_blank">http://nanokaichi.kazelog.jp/nanoch/2010/07/post-de81.html</a></div>
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2010-07-01T00:00:00+09:00
2010年7月 母子草編集後記(価値観)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=45/r_id=31#block45-31
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<div>2010年7月</div>
<div><br />
何度か私たちの価値観を変えなければこの国は成り立たなくなっていくのではないか?と、様々なところで話したり書いてきています。何でも行政におんぶにだっこではだめだと思っていますし、最低限のセーフティーネットは確保された上で、自らで協力し合って行政に頼らずにしていかなければならないと思います。高度経済成長を遂げ物理的に豊かになりましたが、一方、人々の心は豊かではなくなっているように感じているからです。</div>
<div> </div>
<div> そのような中である一冊の本を紹介いただきました。「豊かさの条件」暉(てる)峻(おか)淑子(いつこ)著(岩波新書)。当たり前のことですが全てこの著書に同感などというつもりはありませんが、たくさん示唆をいただきました。とくに助け合うことの悦びです。「私達は個人であると同時に、依存しあう社会的人間であり、自然の一部として自然にも依存して生きている。そのどれが欠けても人間生活はありえない。だから意識の面でも、同情や共感のない社会は存在せず、どんなに自立や自由が叫ばれても、人は、助け合うこと中に悦びを感じてきた。人間の自立も、安全も安心も、他者とのかかわりの中ではじめて可能なのであり、福祉のセーフティーネットの上に自立がある、といわれる理由もそこにある」</div>
<div> </div>
<div> いじめで自殺した中学三年生の母親の言葉は特に心に響きました。「・・・強く生きる子をつくることばかりでなく、弱い子も生きられる社会も残してください。どうやったって強くなれない子は出てくるのです。」【園長】</div>
<div><br />
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2010-06-01T00:00:00+09:00
2010年6月 母子草編集後記(師)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=45/r_id=30#block45-30
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<div>2010年6月</div>
<div> </div>
<div> 誰に教わるか?は大切。という話を童具館の和久先生はおしゃっていた。木村拓也が英語の先生だったら皆さんも英語を話せるようになっていたのではないか?と会場の保護者を笑わせていた。自分の人生を振り返ってみてどうだろう。確かに高校のときの生物の授業は楽しかった。年老いた先生だったがいつも食い入るように先生の話を聞いていたことを思い出した。とくに生物が好きだったということはない。</div>
<div> </div>
<div> 一方、最近ある人に紹介されて読んだ「日本辺境論」内田樹(新潮新書)には、「弟子はどんな師についても、そこから学びを起動させることができる。仮に師がまったく無内容で、無知で、不道徳な人物であっても、その人を「師」と思い定めて、衷心から仕えれば、自学自習のメカニズムは発動する。例として太公望の武略奥義の「張良」の話をあげていた。</div>
<div> </div>
<div> 確かに幸田露伴の「努力論」にも他力による自己革新というのがある。立派な人に仕えて真似をしているうちにいつの間にか仕えていた人も立派になっているという話だったと思う。</div>
<div> </div>
<div> 師は大切だと思うが、自学自習に本人が気づくこと(スイッチオン)が一番大切かな?と思います。皆さんはいかがお考えでしょうか?だからといって幼稚園の先生は誰でもいいという話にはならないと思いますが・・・。【園長】</div>
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2010-05-01T00:00:00+09:00
2010年5月 母子草編集後記(ブログ開始)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=45/r_id=29#block45-29
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<div>2010年5月</div>
<div><br />
3月よりブログを始めました。理由があってのことなんですが・・・。ただ毎日何を書くか迷います。詳しい保育の中身は職員のほうがうまく伝えられるかと思いつつも、できるだけ様子を伝えられるように努力します。日々苦悩をしているのが現状です。しばらくは悩みながら更新していきたいと思います。パソコンでなくても携帯からもアクセスできますのでまだ通園していない方は是非一度アクセスをお願いします。(<a target="_blank" href="http://nanokaichi.kazelog.jp/">http://nanokaichi.kazelog.jp/</a>)</div>
<div> </div>
<div> 今、職員ボードと園マップなど手作りで先生たちが作業を進めています。いつも思うのですがイラストを描いたり本当に上手に手早く仕上げるので感心させられます。というか頭が下がります。趣旨は園に訪れていただいたときに、よりいっそう園のことや職員のこと遊びのことなど知っていただくこと、そして何より子どもの成長が実感できる空間作りをしていきたいと思います。近いうちにデビューいたしますのでお楽しみに。</div>
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<div> これまた現在進行中でありますが、園のコンセプトブックの作成を進めています。5月7日(金)にプロカメラマンが入り子どもたちの様子を撮影いたします。一日きていただくので相当の枚数になると思いますが、いい表情を撮っていただくことを願うばかりです。このコンセプトブック、今までの入園案内を想像されるかも知れませんが、まったく別次元のものですし完成度も別格です。このコンセプトブックを開いたら一度はこの園に足を運びたくなる、そして入園させた誇りを皆さんに感じてもらえるものになると思います。何とか夏までには仕上がりますように!!(祈願)【園長】</div>
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2010-04-01T00:00:00+09:00
2010年4月 母子草編集後記より(出会いを生かす)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=45/r_id=28#block45-28
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<div>2010年4月</div>
<div><br />
この母子草(ははこぐさ)は月に一度、始業日もしくは月末に配布をしております。できるだけこの母子草を読んでいただければ行事やクラスの様子、お願いごとやきまりごとを理解していただけるようにしています。また、ホームページで写真をアップしたり、ブログは都度気づいたことを書いていくようにいたします。是非、ご覧頂き園や子どもたちの理解に子育てに活かしていただければと思います。(ブログは携帯でも見ることができます。)</div>
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<div> 予定表に二十四節気を記してあります。これは、中西進さん提唱されている「体のカレンダー」を大切にしようということに影響を受けてのことです。日々数字のカレンダーに追われることなく、自然の循環にそって名づけられたカレンダーの方が自然の中で生かされていることを感じることができるということです。</div>
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<div> 過日、ある私立の小学校を見学してきました。幼稚園や保育園、専門学校等を多角経営されている学校法人の理事長さんと数年前ご縁をいただき今回お誘いをうけたことによるものです。小学校を設立するつもりは毛頭ありませんが、開設当初の苦労話や施設を見学しながら伺った話の中には、わが園で活かせるヒントも数多くあり勉強になりました。そして何より刺激を受けました。</div>
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<div> 人との出会いは本当に貴重であります。「縁を縁とも知らず見過ごす人を下品とすれば、縁を縁と知りつつ生かし得ない中品があり、袖ふりあう縁も活かしえる人もあって、これを上品の人と申せましょう。」と寺田清一さんの著者にあります。是非、保護者の皆さんも幼稚園や保護者会を通して多くの人と縁を深めていってもらえたらと思います。きっと子どもたちだけでなく自身の成長につながると思います。(園長)</div>
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2010-02-01T00:00:00+09:00
2010年2月 母子草編集後記より(立志)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=45/r_id=27#block45-27
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<div>2010年2月</div>
<div><br />
過日妻より中学の娘の学校からの手紙を手渡された。あまり模範的ではないが普段このようなことは余りないので目を通す。「立志式・・・」と目に入る。うちの娘もそんな年か?などと思いつつ読み進むと、どうやら親が子どもにあてたメッセージを書かなければいけないということなのだ。日ごろの反省もあり、「おー、書いてあげよう。」などと強気で口走ってしまったが、便箋と封筒は机の上に置いたままである。</div>
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<div> 私も立志式には将来の夢を書いた。その後の志のない生活のおかげで20歳のときにその作文は届いたが、その時点でもうすでにかなわぬ夢となっていた。</div>
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<div> 幕末の福井藩士橋本佐内(景岳)が15歳のころ啓発録を記した。去稚心、振気、立志、勉学、択交友、この五つのテーマでまとめられている。その「立志」の中の一文に「志の立ち定まっていない者は、魂のない虫けらと同じで、いつまでたっても少しの向上もないが、一度志が立って目標が定まると、それからは日に日に努力を重ね成長を続けるもので、まるで芽を出した草に肥料のきいた土を与えたようになる。」とある。私自身とは比較にもならない立派な人間である。</div>
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<div> 大人になって「志」の大切さに気付いた父親とすれば、さて何を娘に伝えればいいのであろうか?受け売りの言葉ではいまいちだし、自分の経験を書くのもいいが、果たして娘の「立志」に影響を与えるか甚だ不安である。「嗚呼、締め切り近し。」(園長)</div>
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2010-01-01T00:00:00+09:00
2010年1月 母子草編集後記より(親の責任)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=45/r_id=26#block45-26
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<div>2010年1月</div>
<div><br />
昨年の末をもって青年会議所(40歳まで)を卒業した。今まで家族そして教職員や保護者の皆さんには多々ご迷惑をおかけした。この場をお借りしてお詫び申し上げたい。しかし、今の園があるのは、この青年会議所活動の影響が多大にあるのであえて今回書かせていただいた。この活動でとにかく多くの人に出会い、侃侃諤諤議論をし共に運動を行ってきた。そうした多くの人に影響を受け、学びを得る中で、さまざまな経験が血となり肉となって私と言う人間が出来上がってきた。それと共に園の成長もあった。本当に感謝の気持ちで一杯である。そして北は北海道から南は沖縄まで本当に多くの先輩や仲間という財産が残った。生涯の宝ものである。</div>
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<div> 年末に読んだ「日本の父母に」安岡正篤著(致知出版社)に父の子に対する影響が記してあった。「たしかに皆様には社会に大きな責任を負っていますが、同時に自分の子どもに対して、もっと重大な責任があることを忘れてはなりません。」思わず赤ペンを引くとともに少し反省をした。今までも忙しいなかでも子どもたちに関わってきたつもりであったが、これからはもう少し時間をとろうと思うと共に、時々あるじの留守の書斎に子どもたちが立ち寄った形跡が見られたが、これからは少しは大人の背中も見せることが出来るのではないだろうか?居眠りをしていなければ・・・。(園長)</div>