2011年
https://nanokaichi.ed.jp/
2024-03-13T19:43:44+09:00
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2011-12-01T00:00:00+09:00
2011年12月 母子草編集後記(個性と協調性)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=44/r_id=25#block44-25
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<div>2011年12月</div>
<div> </div>
<div> 園長だよりを書いていて思ったことがある。柴崎教授の四つの柱立ての「友達と育ち合う」こと、「生活を共にする」ということ。一番目と二番目は個人の努力でできること。しかし、この二つは相手がいて成り立つこと、そして現実社会は多くの相手があって成立している。その中で生きていくことの大切さはやはり幼児期から培うものである。</div>
<div> </div>
<div> 数年目の大ベストセラー養老孟司さんの「バカの壁」をひっぱりだした。『人と情報、両者の本質的な特性を比較して考えれば、大きく見て変わらないのはどちらであるか明らかでしょう。だから、若い人には個性的であれなんていうふうに言わないで、人の気持ちがわかるようになれというべきなのです。(中略)「自分の個性は何だろう」なんて、無駄な心配しているんだよと、若い人に言ってやるべきです。それより、親の気持ちがわからない、友達の気持ちがわからない、そういうことのほうが、日常的により重要です。』と…。</div>
<div> </div>
<div> この本にもマニュアル人間の批判が書いてあるが、先日の研修会で先生の保育をマニュアル化できないか検討したいと言っていた人がいた。いろんな先生がいるからいいのではないか?よい人材が入ってこないと嘆く意見もあったが、良い人材が働きたいと思う職場を作ることが大事だと思う。個性と協調性バランスが重要だと思うが協調性がないと個性も生きないと思う。(園長)</div>
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2011-11-01T00:00:00+09:00
2011年11月 母子草編集後記(褒めるということ)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=44/r_id=24#block44-24
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<div>2011年11月</div>
<div> </div>
<div>ロサンゼルスオリンピックの金メダリスト山下泰裕さんの講演を聞く機会に恵まれました。</div>
<div> </div>
<div>「過去なんかすべて忘れてしまっていい。今この瞬間に情熱・エネルギーを注入する。</div>
<div> </div>
<div>未来将来に向かって全力を尽くす。柔道で学んだことを生かして人生の勝利者になること。</div>
<div> </div>
<div>人生は皆がチャンピオンになれる。」</div>
<div> </div>
<div>このような信念に基づき「人生の金メダルをもらえる人間になれ」と学生たちを指導されてきたそうです。</div>
<div> </div>
<div>まだまだ失敗ばかりだが過去は振り返らないと会場を笑わせていました。</div>
<div> </div>
<div>その失敗談をうかがい感動しました。気合がない大学4年生部員がいたそうです。</div>
<div> </div>
<div>高校・中学時代は県レベルのチャンピオン。</div>
<div> </div>
<div>しかし大学では毎年力のある後輩が入ってくるとともに目標を失い練習にも力が入らなくなってくる。</div>
<div> </div>
<div>そんな4年生ならいらないと思っていた。</div>
<div> </div>
<div>しかし、ある病気の少年のために柔道部の部員で献血に協力をすることになった。</div>
<div> </div>
<div>そしてその子の手術が終わった時に、その子のお母さんから、</div>
<div> </div>
<div>だめだと思っていたその4年生が献血をきっかけに何度もその子を気遣い励まし続けていた事実を知らされる。</div>
<div> </div>
<div>その後部員みんなの前でその学生のことを褒めたそうです。</div>
<div> </div>
<div>そうしたらその4年生が練習に対する姿勢が全然変わったと・・・。</div>
<div> </div>
<div>人を褒めるということは言葉で分かったつもりになっていて、本当に褒めるということができていなかったことを思い知らされ、</div>
<div> </div>
<div>多面的に人を見られることができていなかった自分を恥じたそうです。</div>
<div> </div>
<div>教育はその子の良さを伸ばしてあげること。このことをきっかけに少しずつ自分が変わっていったと・・・。</div>
<div> </div>
<div>勝つことより人間教育を柔道界で訴え続けているそうです。</div>
<div> </div>
<div>今勝つことより20年後30年後の柔道界が大事と・・・。</div>
<div> </div>
<div>スポーツの素晴らしさを改めて実感した感動の講演会でした。(園長)</div>
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2011-10-01T00:00:00+09:00
2011年10月 母子草編集後記(子育てしながらも自ら育つ)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=44/r_id=23#block44-23
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<div>2011年10月</div>
<div><br />
アメリカに質の高い幼児教育を受けた人たちとそうでない人たちのその後の将来を追ったペリープリスクール研究というのがある。いくつかのデータを紹介します。</div>
<div> </div>
<table border="1" cellspacing="1" cellpadding="1" style="width: 308px; border-collapse: separate; height: 91px">
<tbody>
<tr>
<td style="text-align: center"><span style="font-size: 12px">調査項目</span></td>
<td style="text-align: center"><span style="font-size: 12px">参加</span></td>
<td style="text-align: center"><span style="font-size: 12px">不参加</span></td>
</tr>
<tr>
<td><span style="font-size: 12px"> 14歳時学校生活を充実させている。</span></td>
<td style="text-align: center"><span style="font-size: 12px">61%</span></td>
<td style="text-align: center"><span style="font-size: 12px">38%</span></td>
</tr>
<tr>
<td><span style="font-size: 12px"> 高校を卒業。</span></td>
<td style="text-align: center"><span style="font-size: 12px">65%</span></td>
<td style="text-align: center"><span style="font-size: 12px">45%</span></td>
</tr>
<tr>
<td><span style="font-size: 12px"> 40歳時に2万米ドルの収入がある。</span></td>
<td style="text-align: center"><span style="font-size: 12px">60%</span></td>
<td style="text-align: center"><span style="font-size: 12px">40%</span></td>
</tr>
<tr>
<td><span style="font-size: 12px"> 40歳までに5回以上の逮捕歴がある。</span></td>
<td style="text-align: center"><span style="font-size: 12px">36%</span></td>
<td style="text-align: center"><span style="font-size: 12px">55%</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<div> </div>
<div> ご覧のとおり比率の問題ですが差がはっきりわかります。この結果から子どもたちへの教育投資が安全で確実なものであり、将来の社会にすぐれた便益をもたらすということが導きだされています。しかし、完璧ではありませんね。◆森信三氏は、人間ができあがる要素に「血(血統)、育ち、教え」の三つを挙げています。特に血と育ちが重要だといっています。どうしてもこの血や育ちから人間のアクというものが根深く影響をしているといいます。そしてこれを懸命の覚悟で除去しなければと教えています。◆ここにこの数字をより完璧に近づける答えがあるように思います。血統や育ちからくるアクを除去するには相当の信念と覚悟そして修養が必要ですね。森氏曰く一生かけてするものだと。子育てしながら自らも育つ。(園長)</div>
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2011-09-01T00:00:00+09:00
2011年9月 母子草編集後記(Facebookとtwitter)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=44/r_id=22#block44-22
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<div>2011年9月</div>
<div> </div>
<div> いよいよ入園願書受付が開始になります。毎年、どれだけの人に来ていただけるか大変気になります。年々、少子化で厳しくなる一方ですので祈る気持ちになります。是非、ご近所の方や知人の方にお勧めいただけると大変ありがたいです。どうぞよろしくお願いします。</div>
<div> </div>
<div> このたび幼稚園のフェイスブックとツイッターのページを設けました。フェイスブックに投稿するとツイッターにも連動するように設定をいたしましたが、個人のものとのページの切り替えやら設定が良くわからないため悪戦苦闘しております。フェイスブックとツイッターも活用して、幼稚園の情報などを発信していこうと思います。ホームページやブログとは違った役割があると思いますのでとりあえずスタートいたします。</div>
<div> </div>
<div> これらを使い始めて生活が変わったように思います。以前にも書いたかもしれませんが、ツイッターはマスコミからの情報でははなく、ダイレクトに著名な方の呟きが読めますし、ファイスブックは今までご縁があった方と久しぶり連絡がとれたり、新たに出会いを頂いた方とその後の連絡が気軽にとれたり、まったく新しい出会いを頂いたりと、利用する自分自身でルールを設けると有効活用できると思っています。【園長】</div>
<div>Facebook <a target="_blank" href="http://facebook.com/nanokaichi">http://facebook.com/nanokaichi</a>,Twitterは、 @nanokaichi でご検索下さい。ブログから入れます。また、ブログのいいね!ボタンもよろしくどうぞ。</div>
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2011-07-01T00:00:00+09:00
2011年7月 母子草編集後記(それぞれの役割で)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=44/r_id=21#block44-21
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<div>2011年7月</div>
<div> </div>
<div>「遊ぼう」っていうと 「遊ぼう」っていう。</div>
<div> </div>
<div>「馬鹿」っていうと 「馬鹿」っていう。</div>
<div> </div>
<div>「もう遊ばない」っていうと 「もう遊ばない」っていう。</div>
<div> </div>
<div>そして、あとでさみしくなって、</div>
<div> </div>
<div>「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう。</div>
<div> </div>
<div>こだまでしょうか、 いいえ、誰でも。</div>
<div> </div>
<div> 金子みすゞ</div>
<div> </div>
<div> 金子みすゞ記念館館長の矢崎節夫氏は、この詩を耳にした日本人は、被災された多くの人が味わった悲しみや思いに対して、こだまする自分でいられるか考えたのではないでしょうか。一人ひとりがこの震災がもたらした被害を、自分のこととして感じる一つのきっかけ与えたのが『こだまでしょうか』の詩だったと思います。と語られています。</div>
<div> </div>
<div> まだまだ復興には時間がかかります。金子みすゞの詩に「みんなちがって、みんないい」と言う有名なフレーズがありますが、みんなそれぞれの役割で頑張ってきましょう。(園長)</div>
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2011-06-01T00:00:00+09:00
2011年6月 母子草編集後記(遊戯)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=44/r_id=20#block44-20
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<div>2011年6月</div>
<div> </div>
<div>群私幼PTA連合会の総会のあと研修会が行われた。今回は歌を唄いながらの楽しい研修会だった。参加された方も同じ印象だと思う。その時、遊戯についての話が出ていた。つい、うちの園の関係者ならおゆうぎ会が思い浮かぶと思う。講師も紹介していたが、最近はおゆうぎ会ではなく発表会とするところも多いと。</div>
<div> </div>
<div> あらためて「遊戯」という言葉を考えてみた。フレーベルの著書『人間の教育』には、「遊戯することないしは遊戯は、幼児の発達つまりこの時期の人間の発達の最高の段階である。というのは、遊戯とは、すでにその言葉自身も示していることだが、内なるものの自由な表現」とある。そして、「力いっぱいに、また自発的に、黙々と、忍耐づよく、身体が疲れきるまで根気よく遊ぶ子どもは、また必ずやたくましい、寡黙な忍耐づよい、他人の幸福と自分の幸福のために、献身的に尽くすような人間になるであろう」</div>
<div> </div>
<div> 音楽に合わせて踊るだけではないこと、そして単なる遊びでもないことがおわかり頂けると思う。内なるものの表現。おゆうぎ会と名乗る以上この言葉の真の意味を心に刻んでおきたい。(園長)</div>
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2011-05-01T00:00:00+09:00
2011年5月 母子草編集後記(親の恩)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=44/r_id=19#block44-19
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<div>2011年5月</div>
<div><br />
父母恩重経というのがあります。これは、インドではなく中国で儒教思想の影響がみられるお経です。その中に父母の恩が10説かれています。</div>
<div> </div>
<div> 1.懐妊中、母が子を守護してくれた恩。</div>
<div> </div>
<div> 2.出産の折り、母が苦しみに耐えてくれた恩。</div>
<div> </div>
<div> 3.子どもが生まれたとたん、母がそれまでのすべての苦しみを忘れてくれた恩。</div>
<div> </div>
<div> 4.乳を飲ませ、養育してくれた恩。</div>
<div> </div>
<div> 5.子のために乾いた場所をゆずり、みずからは湿ったところに寝てくれた恩。</div>
<div> </div>
<div> 6.子の不浄物を洗い灌いでくれた恩。</div>
<div> </div>
<div> 7.子に植物を与えるとき、口に含んで、苦きものはみずから飲み込み、甘きをはきて子どもに</div>
<div> 与えてくれた恩。</div>
<div> </div>
<div> 8.子のために、あえてみずから悪業をすすんでつくてくれた恩。</div>
<div> </div>
<div> 9.子が遠くにいったとき、子の安否を気づかってくれた恩。</div>
<div> </div>
<div>10.最初から最後まで、ひたすらに子に慈愛をかけてくれた恩。</div>
<div> </div>
<div> この恩はわれわれがいかに努力しても返すことはできないくらい無限大の恩ということ。そしてこの恩は「知る」のだと。◆今月は母の日、来月は父の日一つご参考に。しかし、ほとんど母の恩という気もするが・・・。 【園長】</div>
<div> </div>
<div>参照(父母恩重経 著者ひろさちや 講談社)</div>
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2011-04-01T00:00:00+09:00
2011年4月 母子草編集後記(出会いと別れと再会)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=44/r_id=18#block44-18
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<div>2011年4月</div>
<div> </div>
<div> この時期は出会いと別れの季節であります。過日、学童の指導員をしていただいていた先生の送別会を行いました。その時に理事長が別れの後は再会がある。それもまた人生で、そう考えると別れも少しは寂しくなくなるというような半話をした。本当にそう思う。</div>
<div> </div>
<div> この春休み中に、以前勤めていた会社で一つ先輩の方に17年ぶりぐらいで、あるお店でバッタリ会った。それこそ再会である。こちらから話しかけたのだが、声をかけられたことを先方は新種の詐欺かたと思ったそうで相当びっくりされていた。名刺を渡してその場は別れたのだが、翌朝すぐにメールが届いて一度ゆっくりあって話をしましょうとのことだった。会社もシステムが随分変更されているようだ。時代の変化に対応しているのだろうと思う。</div>
<div> </div>
<div> また最近2007年に日本青年会議所で常任理事をやらせていただいた際にグループを任されたのだが、その時のグループメンバーから今年の副会頭がおり、その彼のお祝いで集まった。7名のうち現役(40歳以下)は2名。現役の震災における活躍を聞いてとても嬉しく思うとともに何もしていない自分がもどかしく感じた。そして久しぶりの再会だったこともあり話が盛り上がり4時間近く語りあった。男同士でこれは珍しいことだと思いながら、次の再会を約束して別れた。</div>
<div> </div>
<div> 多くの縁によって人は生かされていると思う。今年度も新たな出会いをいただき感謝するとともに、お互いに感謝しあえる関係となるよう頑張っていきたい。(園長)</div>
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2011-03-01T00:00:00+09:00
2011年3月 母子草編集後記(慈悲)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=44/r_id=17#block44-17
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<div>2011年3月</div>
<div><br />
保育体験をして本当に素晴らしい感想をお寄せ頂いており毎年企画をして良かったと実感する事ができます。やはり、相手の立場に立つと全く違うものがそこに映り、見る事が出来るのだと思います。</div>
<div> </div>
<div> 仏教の基本的な思想に慈悲の精神があります。まずは自分を反省して、そして人の身になって考えるということです。まさに、保育体験によってこの慈悲のこころを体験・体感されているのだと思います。体験された方いかがでしょうか。</div>
<div> </div>
<div> 「人々が生きてゆくためには、各自が自己の存在をたもち、それを顧慮するということが第一条件となっています。その事実は、各自が自覚し意識していることです。もしそうであるならば、他人も同様であると考えて、相手に対して、あるいは他人に対して、いたわりの心をもたねばなりません」仏典の言葉 中村元 著(岩波現代文庫)とあります。常に意識しておきたいですね。</div>
<div> </div>
<div>お釈迦さまが、「自己より愛しいものはない」という趣旨の次の詩句を唱えたといわれています。</div>
<div> </div>
<div><strong>~ いかなる方向に心をはせて探し求めても、自分よりさらに愛しいものを見出し得なかった。同様に、他の人びとにもそれぞれ自分は愛しい。それゆえに、自己を愛する者は他人を傷つけてはならぬ ~</strong></div>
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2011-02-01T00:00:00+09:00
2011年2月 母子草編集後記(自らのこととして・・・)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=44/r_id=16#block44-16
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<div>2011年2月</div>
<div><br />
幼保一体化の将来像が徐々に明らかになってきています。幼稚園や保育所を残しつつも、多くの園が子ども園となるように財政支援を行っていくようです。まだ、細かなところはわかりませんし、いざ移行する段階には個々の園で様々な問題が出てくることが予想できます。もうしばらく静観をしたいと思います。</div>
<div> </div>
<div> 子ども園に移行させるために財政支援を行うようですが、根本的な問題としてこの国に生まれた子どもたちの教育や保育の費用負担をどう考えるのか?ということを総合的に議論できないものなのか?と思います。子ども手当で現物支給してみたり、高校の授業料を無償化してみたり、その場しのぎ的な政策だと思えてなりません。</div>
<div> </div>
<div> 生まれた地域や、親の就業や所得によって受けられる教育が違い、そのことによって格差の連鎖が世代を超えてつながっていくことは、しばらく前から問題とされてきています。もう少し縦割り行政をなくし総合的に議論できないものか?思います。</div>
<div> </div>
<div> 阿久根市の元市長の竹原氏の話をうかがいました。あれだけ報道で悪者(?)にされながらも、選挙結果は864票差でした。彼の主張は公務員制度改革です。話を聞けば大いに納得できることはあります。これは報道では伝わりません。やり方、言い方は私も問題があると思います。しかし、システムを変えない限り事業仕訳などしても永遠に無駄はなくならないという主張は納得できます。</div>
<div> </div>
<div> そのためには、有権者である私たちが変わらないと、消費税を何%でも払わざるをえなくなり、掛けた分の年金はもらえないという結末です。システムを一気に変えることは無理ですが、何より私たちが自らのこととして考えないと・・・。(園長)</div>
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2011-01-01T00:00:00+09:00
2011年1月 母子草編集後記(期待)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=44/r_id=15#block44-15
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<div>2011年1月</div>
<div> </div>
<div> 大晦日は、寺の鐘楼堂のテレビ取材で午前3時からバタバタしていました。しかし、秒単位でのやり取りは難しいですね。毎日あれを続けている関係者はある意味すごいと思いました。取材班は、10時の放送終了後、11時半には全てを撤収して帰られました。でもみなさんいい人たちばかりで、マスコミの人に対する今まで抱いていた印象が変わったのも事実です。やはり直接会うということは大切ですね。</div>
<div> </div>
<div> 夜は除夜の鐘。檀家さんや幼稚園の園児や卒園児もかけつけてくれ鐘を撞いてくれました。ありがたい限りです。来年も実施しますので、是非お出かけ下さい。(子どもは昼寝が必要ですが・・・。)長い一日が終わったのは、翌日の1時半すぎ、嫁と次女と2時半過ぎまでおしゃべりをしてしまったので、6時の記念すべき第一回目の鐘撞きは起きるのがつらかったです。しかしそのお陰で一年のスタートをすがすがしく切ることができ、改めて鐘楼堂に感謝でした。</div>
<div> </div>
<div> 年賀状もたくさん届きそれぞれ楽しく拝見させてもらうと共に、勇気を頂いたような気がいたします。でも一通は過大な期待を寄せられた一言に、考え込んでしまう今日この頃です。今までも出来ることは協力させていただいたし、人のために頑張るのは嫌いではないし、むしろお役に立てるものであれば微力ではありますがといいたいとこですが・・・。</div>
<div> </div>
<div> 今の自分の中では優先順位が違うと思いつつ、もしかして子どもの意志に反して親が勝手に期待を寄せるということに似ているのかな?と・・・。(園長)</div>
<div> </div>
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