2012年
https://nanokaichi.ed.jp/
2024-03-13T19:43:44+09:00
-
text/html
2012-12-01T00:00:00+09:00
2012年12月 母子草編集後記(良き場所となるように)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=41/r_id=14#block41-14
1
<div>2012年12月</div>
<div><br />
月刊「致知」11月号の巻頭言に伊與田覺氏が論語の「性(せい)、相(あい)近(ちか)きなり 習(ならい)、相(あい)遠(とお)きなり」という言葉を取り上げていました。もともと人間一人ひとりに大きな違いがあるわけではなく、誰もが相近きものです。しかしながら、躾(しつけ)や教育によって身についた習慣により、人間的に大きな差がついてくるものだという教えだそうです。</div>
<div> </div>
<div> また、「教育の場には、家庭、学校、社会(会社)の三つがあります。よい家庭に育った子どもは自ずと立派な人間に育ち、よい校風をもつ学校に入ると問題を抱えた生徒もいつの間にかよくなり、よい社風の会社に入ると意識せずして立派な人材に成長します。国にも国風があります。よい家庭、よい校風、よい社風によって日本人一人ひとりが立派に育てば、世の中がよくなり、立派な国風が形成されていきます。」ともあります。</div>
<div> </div>
<div> 何度か習慣のことは取り上げており毎回納得をしつつわが家庭の生活習慣を振り返り反省をしているところです。ここで取り上げるのも少しはわがことを棚に上げないとならない訳です。</div>
<div> </div>
<div> それぞれの人が全く同じではないということは文面からもわかりますが、世の中全体や公共性を考えると個を認めつつも、よい社会をつくるためにはそれぞれするべきことがありますよね。よき家庭よい園となりたいと願います。(園長)</div>
-
text/html
2012-11-01T00:00:00+09:00
2012月11月 母子草編集後記(いったい誰のため?)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=41/r_id=13#block41-13
1
<div>2012年11月</div>
<div> </div>
<div> ブログでも少しだけ紹介しましたが、過日、全日私幼連の研修会で精神科医の丸田俊彦さんの講演を聞いた。32年間アメリカで勤務されていた方である。心の問題を扱うのに薬だけではだめだと思いアメリカに渡ったとのこと。時に、英語で考えますか?日本語で考えますか?という質問を受けることがあるそうですが、考えるとは言葉と結びついていないと実体験を語っていましたがなかなか興味深いものでした。</div>
<div> </div>
<div> 本題は「それってだれのため?」でした。奥さんががん末期であることがわかり本人の希望で日本に帰国されたとのこと。毎日看病を続けて、決まって夕刻に汗でびっしょりになったタオルやシーツを交換していた。しかしある日、夕刻に取り換えることを本人が拒み、夜になってやっと了解をして取り換えるときに、奥さんが「いったい、誰のため?」とつぶやいたそうです。</div>
<div> </div>
<div> 先生は、その言葉が頭にきたそうです。しかし、よく考えると自分が遅くなると明日に差し障りがあるので、早く取り換えたいだけだった。結局自分のために毎日夕刻に行っていただけなんだと振り返ったそうです。</div>
<div> </div>
<div> 子どものことも同じではないか?と投げかけられました。「しかる」「ほめる」もいろいろ方法も違うし、どちらも必要だろう。しかし、子どもの将来を心配して言っているのか?もしかしたら親の希望や欲で行っていないか?本当に子どものためになっているのか?幼稚園や先生のためにやっていないか?と…。園長としてそして親としても非常に考えさせられる言葉でした。そして、「しかる」「ほめる」も中庸がいいとおっしゃっていました。あまりかたよらないのがいいと。かたよってしまったら反対側に戻したりすることも必要だと。<br />
(園長)</div>
-
text/html
2012-10-01T00:00:00+09:00
2012年10月 母子草編集後記(あたりまえに)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=41/r_id=12#block41-12
1
<div>2012年10月</div>
<div> </div>
<div> 新入園児の4月からの変化を改めて感じることがあります。園での生活一つ一つに見ることができます。日々の積み重ね、習慣の力だと思います。</div>
<div> </div>
<div> 『怠惰な人はあるときだけ怠惰になるのではない。常に怠惰なのだ。・・・同様に美徳もまた習慣である、といえる。正直な人はだれに対してもいつでも正直であって、うそはつかない。ある人に対してあるときに限ってうそをつこうと思っても、正直な人はつけるものではない。正直が習慣になっているからである。勤勉、節制、倹約、寛大といった美徳もまた習慣のものである。勤勉の習慣がついている人は、この仕事を勤勉にやろうなどと、ことさら決意を固める必要はない。勤勉が習慣になっているのだから、仕事をすれば自然に勤勉になるというものである。怠惰を抑えて人を勤勉に向かわせるものは、まさに「習慣の力」である。』(『読書有訓』渡部昇一)</div>
<div> </div>
<div> 私のように「今日は頑張るぞ」と思っているうちはまだまだという事でしょうか。当たり前になるまでは、まだまだですね。みなさんはいかがでしょうか。(園長)</div>
-
text/html
2012-08-01T00:00:00+09:00
2012年8・9月 母子草編集後記(目に見えないものをしっかり)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=41/r_id=11#block41-11
1
<div>2012年8月</div>
<div> </div>
<div> 最近、知人の影響を受けてジョギングをしています。毎日はできませんが、予定がない限り行うようにしています。最初は徒歩のみだったのですが、だんだんランニングも入れ、現在は走ったり歩いたりを繰り返しています。何事も、形から入るタイプなので、シューズや帽子そしてTシャツも新調いたしました。そんなこともあり当分はやめる訳にはいかなさそうです。過去に一度、ランニングを始めたこともあったのですが、その時は膝が痛くなったのを理由にやらなくなってしまっています。</div>
<div> </div>
<div> 毎日続けることって結構難しいものがあります。掃除と読書ともう一つあることを必ず毎日やろうとしていますが、できない日もあって日々反省しています。毎日できたらとてもすごい力になると思います。たとえ何日かできない日があっても長期に続けることができたら、すごい力が結果としてつくと思います。もし、子どもたちが毎日何か取り組んでいることがあったら続けるような環境を作ってあげてください。何でもいいと思います。</div>
<div> </div>
<div> 人として毎日当たり前に続けられることは、必ずしっかりとしたベースを作ってくれると思います。ついつい目に見える成果を追い求めがちです。目に見えないものをしっかり築く幼少期、子どもたちと一緒にコツコツ頑張りたいと思います。(園長)</div>
-
text/html
2012-07-01T00:00:00+09:00
2012年7月 母子草編集後記(ベストを尽くす)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=41/r_id=10#block41-10
1
<div>2012年7月</div>
<div> </div>
<div> 園長だよりでも書きましたが、この子育ての時期は今だけです。後でどうにもなりません。だからと言って働くことがいけないなどと言うつもりもありません。それぞれのお考えや家庭環境は違います。ただ、その中でも何とか家族で協力してより良い環境を子どもたちにつくってあげるという気持ち・心構えが大切なんだろうと思います。</div>
<div> </div>
<div> 『功なり名遂げた、あるキャリアウーマンがつくづく述懐していた。「自分は同僚が結婚や出産のために次々とやめていくのをよそ目に、頑張って働き続けてきたが、そのために子どもとの時間をほとんど持てなかった。子供が大学を出て、自分も定年になってふと気がつくと、子供はまったく家に寄りつかなくなっていることに気がついた。けれども、もう取り返しがつかない。失われた時間はもう返ってこない。自分は最も大切なものを失ってしまったのかもしれない」と。』(『家族の復権』林道義)</div>
<div> </div>
<div> これは極端な例だと思いますが、どんなに忙しい環境にあってもこの人に自分で(もしくは家族で)与えられた環境の中で子どもとの関わりにベストを尽くすという意識があったら別の結果につながったのでは?と思います。</div>
<div> </div>
<div> 今、この時期に与えられた環境の中でベストを尽くせるようにしましょう。あとでよかったと思える日がくると思います。(園長)</div>
-
text/html
2012-06-01T00:00:00+09:00
2012年6月 母子草編集後記(時間のつかい方)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=41/r_id=9#block41-9
1
<div>2012年6月</div>
<div> </div>
<div> 先月からスケジュール帳をスマートフォンからシムテム手帳に一年と一カ月ぶりに戻した。人が使っているものを見て便利かな?と思い約一年使ってみたが、どうも私には合わなかったようだ。反応が遅いこともあるが、数か月先をすぐに開けないし、理由はいろいろある。かといって手書きがすべて良い訳ではないがどうもこちらの方が自分にはしっくりくる。</div>
<div> </div>
<div> スケジュールはその日の予定がわかることや特定の日が空いているかを確認するだけではなく、数か月分ぐらいで自分の流れのようなものを把握しておく必要があると思う。忙しい時期に一日予定が空いているからといってそこに用事をいれてしまうと、あとで後悔してしまうこともあると思う。</div>
<div> </div>
<div> 池波正太郎の『男の作法』の中に、『三カ月先を見越した上で現在の時間を使って行く。「すべて前もって前もって・・・」と、事を進めて行くことが時間のつかい方の根本なんだよ。』そうすることによって時間に余裕を作っていくのだそうだ。</div>
<div> </div>
<div> 毎月、母子草の印刷日の数日前の日程を二日から三日の間に追われて原稿を作っているようではだめということで・・・。でも追われないとできないんだなー。(園長)</div>
-
text/html
2012-05-01T00:00:00+09:00
2012年5月 母子草編集後記(年齢に応じて)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=41/r_id=8#block41-8
1
<div>2012年5月</div>
<div> </div>
<div> 室町時代の猿楽師(今の能)世阿弥の『風姿花伝』に稽古について書いてある。<br />
『「七歳」この芸ではだいたい七歳を練習の初めとする。<br />
この年頃の能の練習では、その子どもが、偶然にやり出すことのなかに、きっとどこか得意な行きかたがあるものだ。<br />
それは、舞や動作のなか、あるいは謡、あるいは烈しい演じかたなんかでもよいから、何でも何げなしに子どもがやり出すおもむきがあれば、それを干渉せず、思いどおりやらせるがよろしい。<br />
そんなに善いだの悪いだのと、とやかく教えるのはいけない。<br />
あまりやかましく文句をいうと、子どもは意気込みがくじけて、能にいや気がさしてしまう。<br />
そんなことになると、それきり能の進歩は止まってしまうものだ。<br />
いつも、謡か動作か舞か以外は、やらせてはいけない。<br />
そうとう手のこんだ劇的演技などは、たとえその子どもができるにしても、教えてはいけない。』</div>
<div> </div>
<div> あくまで能の話ですが、日頃の子ども達の生活や習い事などにも大いに共通する部分があるのではないかと思います。<br />
まだ、私も子育て中ですが反省の日々であります。<br />
一人ひとり違った子どもの良さを引き出すためには、頭の隅に入れておいていい言葉なのではないかと思い紹介いたしました。</div>
<div> </div>
<div> なお、十二三歳になって『本当に上手になったのらならば、何をやってよかろう。』とあります。その年齢に応じて適する時期というものがあるということですね。<br />
親も一緒で経験や年齢に応じて立派にならないといけないですね。<br />
頑張りましょう。【園長】</div>
-
text/html
2012-04-01T00:00:00+09:00
2012年4月 母子草編集後記(笑われたっていいじゃないか)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=41/r_id=7#block41-7
1
<div>2012年4月</div>
<div><br />
最近、ブログで「今日の一言」を続けています。<br />
Facebook(個人ページ)でも同じ記事ですが毎朝おなじように更新しています。<br />
基本的には今まで読んだ本や雑誌そしてメモしておいた言葉などを選んで掲載しています。<br />
選ぶ基準は、その日の気分や前日の言葉の関連など様々です。<br />
読み手の反応もあるので、何とか続けてみようかと思っています。<br />
本当の理由は、自分の復習のためにやっていることなのですが…。</div>
<div> </div>
<div>4月3日の今日の一言です。『上士は道を聞いて勤めて而して之を行ひ、中士は道を聞いて存するが若(ごと)く亡するが若(ごと)し。<br />
下士は道を聞いて大いに之を嗤(わら)ふ。嗤はざれば以て道と為すに足らず。(中略)<br />
そのようにつまらぬ人間が笑うようでないと本当の道ではないというわけです。』(『人物を修める』安岡正篤 致知出版社)</div>
<div> </div>
<div>決して自分の続けていることが『道』になるなんて大げさなことは言いませんが、人に笑われようと批判を受けようが、自分の信じることを日々続けることはとても大切なことだと思います。<br />
子どもたちも生活の中で続ける挨拶や規則正しい生活リズムそして日々の集中した遊びの中で、じっくりと力をつけていくと思います。<br />
逆にしっかりとした日々の積み重ねがないと、大人になって急に直そうと思ってもなかなかうまくいかないこともあると思います。<br />
新学期を期に家庭での日々の生活を見直してみるのも良いかもしれませんね。(園長)</div>
-
text/html
2012-03-01T00:00:00+09:00
2012年3月 母子草編集後記(未来の保証)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=41/r_id=6#block41-6
1
<div>2012年3月</div>
<div><br />
毎月定期購読をしている雑誌が一つある。致知出版社の「致知」という雑誌である。毎月すべてに目を通すことは過去に一度もない。自慢することではないが、興味ある記事を読んでいる。その中で毎月必ず読むページが巻頭言と総リード(その号の訴えようとする道標)のページ。その総リードの中をいくつかピックアップして本にまとめられたものがある。「小さな人生論」という。そのシリーズも今年に入り5巻目が発刊された。</div>
<div> </div>
<div> その5巻目を過日ダウンした際にベットの中で読み終えた。ここ数年は雑誌の専用ファイルを購入しすべて保存している。よって、本の中に書いてあることは保存雑誌の中にあるのでわざわざ購入する必要はないのであるが、なかなか保存ファイルを広げることはない。本はテーマ別にまとめられているので読みやすさがある。</div>
<div> </div>
<div> さて、中身の話であるが、寝込んでいる自身が恥ずかしくなるほど先人先哲の言葉の数々が心に響いた。ここで人生論を述べるつもりはないが、一つの言葉を紹介します。「『私はドイツの母親、ドイツの婦人の家庭的な伝統の中に、我われの政治的未来に対する、我われの築くいかなる要塞(ようさい)にも増して、確固たる保証をみる』鉄の宰相といわれたドイツのビスマルクの言葉だそうだ。どんなに堅固(けんご)な要塞より、母親が家庭でどういう教育をしているかがドイツの未来を保証する、というのである。」</div>
<div> </div>
<div>私もまさにその通りだと思う。日本の未来は、まさに「あなた」にかかっている。大丈夫「まかせておいて」と、胸を張っている皆さんが目に浮かぶ。<br />
(園長)</div>
-
text/html
2012-02-01T00:00:00+09:00
2012年2月 母子草編集後記(我慢)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=41/r_id=5#block41-5
1
<div>2012年2月</div>
<div> </div>
<div> 天台宗は、伝教大師最澄上人が開宗された宗派です。伝教大師は、「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」と教えられました。そうした教えを広めるために「一隅を照らす」運動を展開しております。一隅を照らす運動は、自分自身が一隅を照らす人(菩薩)になるように努め、その輪を社会につなげていこうという運動です。</div>
<div> </div>
<div> その運動の機関紙に落語家の露(つゆ)の団(まる)姫(こ)さんの川柳小噺が掲載されています。「忍辱(にんにく)」という、耐え忍ぶ、我慢するというお釈迦さんの教えにちなんで「我慢」をテーマに川柳を読んでいますのでご紹介します。</div>
<div> </div>
<div>●日曜日の買い物風景を読んで 「妻シャネル 僕ユニクロで 仲が良い」</div>
<div> </div>
<div>●忘年会・新年会を読んで 「気を緩め 自分の首を 絞める酒」</div>
<div> </div>
<div> 我慢は本当に大切なものだと思います。その人を作り上げる重要な要素の一つだと思います。我慢強い人が減っているように思われる昨今のようです。自分自身の我慢、子どもたちの我慢を考えてみるのもいいかもしれません。</div>
<div> </div>
<div>そして私も一句。</div>
<div> </div>
<div>「このくらい 思う心が ウエスト増」</div>
<div> </div>
<div>おあとがよろしいようで・・・。(園長)</div>
-
text/html
2012-01-01T00:00:00+09:00
2012年1月 母子草編集後記(新年の決意 人を育てる)
https://nanokaichi.ed.jp/pages/8/detail=1/b_id=41/r_id=4#block41-4
1
<div>2012年1月</div>
<div style="text-align: center"><br />
一年の計は穀を樹うるに如くは莫し</div>
<div style="text-align: center"> </div>
<div style="text-align: center">十年の計は木を樹うるに如くは莫し</div>
<div style="text-align: center"> </div>
<div style="text-align: center">終身の計は人を樹うるに如くは莫し </div>
<div><br />
中国春秋時代の管仲の書といわれる【管子】の中にある言葉だそうです。</div>
<div> </div>
<div> 意味は、「一年を目安とする計画は、穀物を植えるのが一番よい。十年を目安とする計画は、木を植えるのが一番よい。一生を目安とする計画は、人を植えるのが一番よい。一度植えて一度収穫のあるのは穀物である。一度植えて十度収穫のあがるのは木である。一度植えて百度も収穫のあがるのは人である。」ということのようです。</div>
<div> </div>
<div> また、一言一句正確に覚えているわけではありませんが、『お金を残して死ぬのは三流、事業を残して死ぬのが二流、人を残して死ぬのが一流』という意味の言葉を何かで覚えたことがあります。</div>
<div> </div>
<div> いずれにしても人を育てることがもっと価値があるということでしょう。年末に、子どもたちが大人になるころのことを書きましたが、それぞれ特性を生かし活躍するためにもその基礎をしっかり育まなければなりません。その責任を自覚し年初の決意と致します。<br />
(園長)</div>